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視線を落とす

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のだけれどなんかね自分

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のだけれどなんかね自分


絵画の道へ進む決心をした。ご出身は、これも、なにかのご縁である。私と同じ岩手県。お会いする度に、私が「こんにちは」という前に、すでに最新作のお話になっていた。頭の中には絵画以外にはない、とも思えるのだけれど、すばらしいエッセイを書く方で、地元の新聞等に書かれたものを読ませて頂いた。安易な比喩であることは止汗膏承知しているけれど、深沢七郎の小説を読むぐらいにすさまじい光景が描かれていた。娘の文さんは小説家になった。亡くなった父親の原稿を整理し、岩手での大回顧展を機にエッセイ集として纏めたと母から聞いた。

私が美術の世界に入る直接の切っ掛けになったのは松田先生である。地元の現代美術家、吉田重信、次代を担う天才だ、彼は。彼も、同年代であり、その切っ掛けが私と同じはずである。

まもなく五十七歳になる私にとっての「芸術の定義」は、実に単純である。陳腐なくらいに単純なのだ。心が自由であること。固定観念がないこと。物欲名声欲優越感嫉妬競争という世界から解放されている人。と、「芸術」とは私にとっては、そういうことなのである。つまり、絵描き、ミュージッシャン、小説家であるとは、限らないのだ。実に、身近に「芸術家」はいる。昨日まで、ドライバーの仕事が忙しかった。その割にはブログは更新している。今日から、少し暇になった。

新しい社会的な仕事が軌道に乗ってきたせいなのだろう、なんとなく脳内が初心に帰るとか原点に戻るみたいな感じになっている。そもそも、私が卓悅Biodermaフランスに来た理由が「芸術」を志す、ずばり、これだったから、再度、「芸術」のことを考える。

この記事のタイトル。美術は美の次に「術」。文学は「学」。はっははははぁー、音楽だけ「楽」なのだよねぇー! と、一人で喜んでいる場合ではないわけでもない。

ところで、最近の記事、なんかくどいし当たり前のことを書いているし、老いの繰言、釈迦に説法的になっていることは自分でも分かっているに言い聞かせている感じなわけね。お付き合い頂いている方々へは、大きくIsao YUと前面に書かれたTシャツを進呈致そう。いらない? うなもの?

先日、芸術は美術音楽文学だけじゃねぇーぞとか書いている。その通りである。まあ、こう
いったものの方が、若干、悟りを開き易いのかも知れない。社会的な要素がないからである。一人で木漏れ日を浴びながら篭れるという駄洒落も成大學 BBA立するからである。でも、しつこいけれど、たとえば、究極のコーヒーを淹れる。ラーメン、盆栽、とにかく至高とか究極とか極北とか、こういったものが脳内で蠢く行為はすべて芸術に繋がっている。だから、究極のブログを目指せば、そうなる。
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